東日本大震災からもうすぐ3年(2)

翌12日朝。自宅周囲を散策。瓦屋根の家は瓦が周囲に散乱し、壁に穴があいている家もある。前の週舗装したばかりの道路に亀裂が走っていた(この亀裂今でも放置されている。震災後に生まれた次男が先週この亀裂でつまずいて顔に擦り傷を作った。まさか次男が被災するとは…。)。携帯は基地局の予備バッテリーが切れたらしく圏外になっていた。

ライフラインのチェック。水は出た。いつまで出るかわからないので家中の容器ためておく。(結局我が家は断水しなかったが運が良かったらしく、同じ町でも断水した家が多かったようだ。)ガスはプロパンだったので、耐震装置リセットで使えるようになった。ただし給湯器は電気でコントロールしているため使えず。電気が復旧するまではコンロで沸かした湯で風呂に入っていた。

電気は時々配電盤のブレーカーを上げるが電気は復旧せず。結局電気が来るのは震災後5日目になってからである。電気が無くて困ったのは暖房のほかに冷凍庫である。まだ寒い3月なので冷蔵庫は無くてもいいが、冷凍庫の中のものはじょじょに溶けていく。結局冷凍庫に保管していた肉や魚から優先して食べていたので実は震災後の食生活は意外とリッチだったのである。

近所の生協に行くと人だかりが出来ていた。店内は物が散乱しており入れないが、店頭で物品の販売するとのことで、一時間ほど並んでカップ麺等を購入。コンビニは営業していなかった。地震のときコンビニがあると安心していてはいけない。東日本大震災クラスの揺れだと店内のものが散乱し、入店不可の状態になる。ちょっとした食べ物と飲み物だけでも入手していこうという甘い考えは抱かないほうがいいと思う。この後もコンビニは売り物が無くて断続的にしか営業できない状態が約1ヶ月続いた。

 

小型店だと、物が散乱しただけで済んだようだが、大型店ではスプリンクラーが作動して水浸しになったところもあったようだ。なぜか1階より2階以上の方が被害が大きかったらしい。町内の2階建てショッピングセンターの2階は一部を除き3年経つ今でも閉鎖されたままである(店舗は一階だけで営業可能で赤字の映画館を再建する気がないだけかもしれませんが。)。

東日本大震災クラスの揺れだと翌日はまともに開けられる店は無いと考えておいたほうがいいでしょう。自宅に少なくても3日、できれば一週間外に出なくても喰いつなげられるだけの食料を備蓄しておいたほうがいいと思います。そして冷凍庫の中身が溶け出したらどうしたらいいか、たまにシミュレーションしておくのも貴重な食料を無駄にしないためにも必要だと思います。